Kaze1952’s diary

定年退職後、趣味の世界に専念。ロードバイクは乗るだけでなく収集にも・・・。

大山街道サイクリング

 今日は自治会の発行物に使う資料作りのサイクリング。自分は茅ヶ崎市内の最東部にある「赤松自治会」で自治会だよりを作っている。そのネタ作りで「茅ヶ崎歴史散歩」という名前のコーナーを作ったので、今更ながら自分の生まれ育った市の歴史を振り返りながら、いろんな場所を走りながら写真撮影、資料調査だ。

 今回はたまたま借りた本が、市内の街道を歩く本で初っぱなが「大山街道」だった。約70年生きてきて、小学生以来大山街道は何度も歩いてきており、スタート地点は知っていたが、茅ヶ崎の外れを知らなかった。

 そこで、いろいろな資料をたよりに、始発地点である旧東海道(現国道一号線)四谷の辻からスタートした。ゴールは道を間違えたが、「田村の渡し場」である。私が読んだ資料は茅ヶ崎市と寒川町の境にある間門橋で終わっていたが、個人的には相模川までが寒川町も含めて故郷と思いたい。田村の渡しの寒川岸までだと、おそらく10km超える程度であろう。江戸時代であれば二里半か。下図の地図はサイクルコンピュータGARMIN」が自動作成したもので、バイクが走った軌跡である。

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 最初は四谷辻にある道標とお堂の写真である。説明書きによると「四谷不動」である。

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 ここから愛車CHERUBIMに乗って走り始めるとすぐに大きな鳥居が立っていた。民家の間に普通に立っているとなんだか変?

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 ここを越えると、大庭トンネル手前の市道辻堂駅遠藤線を信号で渡る。その先は「右野道の地蔵」である。

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 ここは左の道を選んだが、街道の本によると正解。しばらく走るといつも走る大山街道になった。この道は旧道と思え、普段は二ツ谷に繋がるまっすぐな道が大山街道と思い込んでいた。右折して後ろを振り返ると東海道がすぐ見える。左側の小径から出てきたが、この辺りは住宅街であるので、道も含めて大幅に変わっているのであろう。

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まっすぐ先が東海道二ツ谷、左側の小径が大山みち

 ここからは、いつも走っている大山街道であり、両側に家やマンションが建ち並ぶがまだまだ農家が多い。

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 近年になって新湘南バイパスが出来たので、少し道も変化した可能性はある。しばらく走ると知人が住むマンションが左に現れた。この先の交差点は赤松通りから繋がる小和田通りとなる。

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 小和田通りを過ぎると、とても素敵な名前の寿司屋だ。一度行って見たいが、家から少々遠い。

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 ここからしばらく行くと、バイパス下を走る側道と旧道が分かれるので、車の量が激減する。旧道の道幅が狭いので、配送車と地元民しか走らないせいでもある。僅かなアップダウンはあるが藤沢市側から終点(相模川)までは標高差が10m程度しかないが、ほぼ下りである。

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 途中で室田小学校脇を過ぎると、右側に倒れかかったような大木の跡がある。樹齢約400年のケヤキだそうだ。いつも通り過ぎていたが、今回は歴史散歩なので、鳥居の先を調査。

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 右に曲がりしばらく行くと、右側に鐘楼があった。

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 大木が周りに生えているが、切られたものも多くあり、先はバイパスの下に続いている。バイパスが出来、その下に側道が新設されたため、その間を通る陸橋参道が新設されたようである。この神社は赤羽根神明大神社とも呼ばれ、赤羽根にあるが大山街道の南は高田だ。

 ネットで調べたら、明治末に1村1社制度の施行により上赤羽根、中赤羽根の諸社が下赤羽根のこの神社に合祀されたとある。

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 この先を少し行くと、今度は六地蔵が現れた。今まで何の気にもせずに通過してきた場所に有ったのに驚く。未だ綺麗なので、割と新しく出来たかもしれない。赤羽根六地蔵堂。

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 この少し先左側に、本在寺というお寺があった。春先は桜が綺麗な寺である。もうしばらくすると大きな銀杏が黄色く染まる。

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 さらに進むと高田の熊野神社があった。小和田の熊野神社が身近にあったので高田の熊野神社は知らなかった。この横をいつも自転車で通過していたが、名前を見たのは初めてである。

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 ここを過ぎるとすぐ高田の交差点である。右に進むと小出県道、左は駅に向かう道で一中通りと交差し、一里塚北通りとなる。さらにまっすぐ進むと新湘南バイパス下にある松風台交差点の手前にでる。交差点を道なりに横切り、マルエツの先の交差点で北側へ渡り、西へ進む。ここからはかなり細い道で、車のすれ違いが難しい。その先が相模線の踏切である。

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このまままっすぐ行くと、茅ヶ崎駅から来る県道45号線と合流し中原街道と呼ばれる道になる。そこから先は寒川町で、市境の門間川(現在の小出川)は伝説「河童徳利」由来の地でもある。この先は大曲と呼ばれ、大きく右へ道は曲がっていく。

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 大曲橋から見た小出川南側の風景である。この辺りに河童が居たのか?

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 大曲からの道は、自転車では走りにくい狭い道で、歩道もしっかり完備されていない。大型車におびえながら相模川を目指す。最終ゴールは相模川右岸にある「田村の渡し場」跡であるが、寒川側に当たる左岸にも何か痕跡はないか調査。結果的には何の痕跡も無し。

 相模川沿いの道を北上し、神川橋を渡って、右岸へ下るとすぐ右側に「田村の渡し場」跡の碑があった。最初は気づかずに200mくらい南下し戻った。下の写真が右岸へ降りたところであるが、この右側に碑があった。これで、今回はひとまず終了。次回はここを起点に大山まで走る予定である。今回のバイクは坂路が苦手なので、次回はGIANT TCRの予定。

 

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 碑の脇に説明書きがあったので掲載。この私場は「大山みち」と「中原街道」の合流地点であると書かれていたが、どこから合流しているのか?

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今回のバイク、1983年制作のCHERUBIMロードである。

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